江戸前風鰻の蒲焼き

関西のうなぎは直焼き、関東のうなぎは一度蒸してから焼くことはご存知だと思います。私は大阪に生まれて大阪に育って関西の鰻に親しんできました。40歳すぎて初めて関東のうなぎを食べる機会ができました。いざ食べると・・・

美味しい!!!!!

軍配は関東のうなぎに上がりました。僕の中で関西の方がなんでも美味しい神話が崩れました。なんて美味しいんだと思いました。

もう関西の鰻には戻れません。

江戸前の特徴である一度蒸してから焼くという手間をかけ美味しく仕上げたのには理由があるんでしょうか。実は美味しくしようとして蒸したわけではないんです。たまたま美味しく仕上がったというほうが正解かもしれません。今の東京、江戸は人口100万人都市でした。つまり人がうじゃうじゃ居たわけです。その中で鰻の文化が発達しました。もともと鰻が蒲焼と呼ばれたのは、ぶつ切りにして串に刺して焼いた形が蒲の穂に似ているところから来ています。それから、開いて背骨をとって今の形になりました。それから鰻の蒲焼が流行りました。人口100万人都市。注文を聞いて捌いてから焼いていたのでは間に合いません。なので一度蒸して置いておいて、注文が通ればタレをつけて焼くだけにしていました。いわば、すぐに出せる段取りで蒸していただけだったんです。

伊勢に伊勢うどんがありましてお遍路に訪れる人が年中多数いて、その需要に応えるためにうどんを茹でて置いて注文が来たらすぐにお湯に入れてすぐに出せる状態を作っていました。それと似ていて、いわば現代のファーストフードとして発展しました。何が言いたいかというと、うなぎを蒸したのは美味しくしようとしたのではなく手間を省くためにしただけのことが、あんなに美味しいくなったんです。

伊勢うどん

私も見様見真似で江戸前の蒲焼を作ろうと思ったのですが、蒸すと柔らかくなり、どうしても串が刺せません。鰻の職人さんに聞いてみると、30分蒸した後 冷ますんだそうです。冷ますと固まるので串が刺しやすくなります。冷たいままで仕上げの焼きをして、焼きすぎるとまた柔らかくなり、串が抜けて鰻が落ちてしまいますのでそうなる前に焼き目を付けてタレ焼きを行うのがコツだそうです。

料理は偶然から生まれる事は多々あります。
豚骨ラーメンもそうです。
煮込みすぎて白く濁ったんです。それがいいコクに。

白濁といえば日本酒も元々濁り酒でしたが、ある酒蔵に恨みを持った人物がお酒の入った桶にお酒をダメにするために灰を入れました。次の日蔵の人が桶を覗くと濁っている日本酒が透明に澄んでいたそうです。それが爆発的に売れ今の日本酒になっています。全くの偶然が美味しい日本酒になりました。灰を入れた人は憎くて入れたのに、それのお陰で澄んだ日本酒ができヒット商品になるなんて皮肉な話ですよね!
実はこの酒蔵は鴻池家の酒蔵だったんです。財閥だった鴻池家です。
鴻池家の始祖は鴻池新六という人ですが、この人は歴史でも有名な
尼子家家臣、山中鹿之介の子供だそうです(びっくり!)
その後鴻池家はお酒の樽を江戸に運ぶために海運業を営み、
西国大名の参勤交代の運輸などの大名との取引関係が生じ、大名貸し
が始まり両替商にも手を広げていきました。
その後、両替商に一本化しのちに鴻池銀行となり三和銀行になりました。

むっちゃ話がそれてしまいました・・・。
江戸前の鰻は美味しいという話でした!

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